悪と戦い善を疑った男の物語



こんにちは、テムジンです。



これから、私がいじめ専門家庭教師として活動をするに至った、

物語をお話ししていきます。



もし、いじめの解決法を知りたい、あるいは、

生き方やこの世界の成り立ちについて深く理解したいという場合は、

参考になる部分もあると思うので、ぜひ読んでみてください。





私の生き方というのは、

基本の部分は、物心ついた時からあまり変わってないように思います。



これは、私がまだいじめを経験するより何年も前、

幼稚園児だった頃のことです。



私はすなあそびの好きな普通の男の子でした。

母親からは「ウルトラマンみたいな優しい人になってね」と言われていました。



子どもの頃から優しい人を目指していた私ですが、

ここは何せ幼稚園。

ジコチューの塊みたいな人間が集まるところです。

当然優しい人でい続けることはできませんでした。



ケンカもしました。

しかし、私にはその時からポリシーがありました。



それは、先に手を出さない、ということでした。



先に暴力を振るってはいけない、

というのが我が家のルールでした。

だから、長男たる私はその教えを忠実に守っていました。



逆に言えば、向こうが先に攻撃してきたら、

私も反撃していました。



だからケンカがあったと母親に知られても、

先に手を出したのは私ではないということを、いつも分かってくれました。





こういった経験を通して、私の中である価値観が形成されていきました。

それは、私が攻撃をしたということは、その前に誰かが私を攻撃したということであり、

私が攻撃を行った原因は相手にあるのだから、私は悪くない。

悪いのは、私の攻撃を誘発した相手なのだ、というものです。



この価値観こそが今も私の中にある基本です。

といっても、そのあとの大幅アップデートで一見別物みたいになるのですが。





そんな優しくて基本的には平和的だった幼稚園時代が終わり、

そのあと迎えた小学校生活で、まさかの人生最大の試練がやってきます。





転校



小学校3年生の夏休み。

母方の祖父母の家にお泊りに行っていたある夜。



部屋の中で両親が私を説得しています。

引っ越さない?



???



学校は?



転校することになるけど・・・





私の涙の抵抗もあえなく、引っ越しが決定。

原因は父方の祖母との、よくある嫁姑問題でした。





その年の夏休みは父親の休日が多くなり、

家族でよく釣りにいったりして楽しく過ごしました。



そして夏休みが終わり、

私は新しい小学校に通いだします。





転校先の学校は同じ県内でしたが、

給食当番のやり方や、図書室で本を借りる方法など、

ルールが色々と違って、まるで入学したての頃のように混乱しました。



個人的に一番大変だったのは、

女の子の名前がちゃん付けからさん付けに変わったことでした。

さん付けで呼ぶのに最初すごく抵抗がありました。





そんな私に対する新しいクラスメイトの反応は決して歓迎的とは言えず、

むしろ異物が入ってきたかのようでした。



そもそも、登校初日に転校生として先生に紹介された際、

クラス中が「え~~⤵⤵

となりました。



私はもっと良い反応を期待していたのですが、

まあ転校ってこんなもんなのかなと考えることにしました。

しかし、この時点でこの教室にある違和感に気付くべきでした。



最初はみんな様子見という感じで、距離をとっていましたが、

どうやらその中には私のことを注意深く観察している男子がいたようなのです。





Y君


登校から一週間ほどたった頃、

私は昼休みに校庭の砂場に来るように誘われます。

きっと砂場で遊ぶんだろう。

そう思ってノコノコとついて行きました。



砂場に着くとクラスの男子がたくさんいました。

そして口元に笑みを浮かべつつ、私を見定めるような眼差しをしたある男の子(Y)が、

「おまえら、ここでケンカしろ」

と言い放ちました。



いきなりケンカしろって言われても、

私にはケンカをする理由がありませんでした。

それに誰と?



私の相手として指名されたのは、クラスで一番背が低くてガリガリの男の子でした。

私のほうは同じくらい背が低かったですが、彼とは逆に太っていました。



他の男子が砂場を取り囲む中、

私と彼とのタイマンが始まりました。



そのケンカには少年漫画のようなかっこいいシーンはなく、

お互いにへっぴり腰で、本気の攻撃をしない儀式的なものでした。



そんな様子に今回のケンカを指示したY君はどう思ったか分かりませんが、

とりあえず今回はそれでお開きになりました。





私は、前の学校ではこんな事は無かったので、

この出来事の意味が分かりませんでした。



後日、今度は昼休みに屋上ドア(鍵がかかっている)前の、

階段の一番上にある、誰も人が通らないスペースに連れていかれました。



そこでも、前回同様、意味の無いケンカをガリガリとさせられます。

しかし今回は途中でY君がガリガリを交代させ、

「もういい、オレがやる」

と出てきました。



Y君の体格は普通の小学生並で目立たないほうでしたが、

鋭い目つきと攻撃的な表情で圧倒的な強者の風格を醸し出していました。



私がY君にビビッて動けなくなっているところ、

私の腰にY君の重い蹴りが一撃。



「うっっ」と私はその場に倒れこみ、

あっけなく勝敗が決しました。

しかしほどなくして、昼休みのサッカーや、休日のY君宅に普通の遊びで呼ばれるようになり、

新しいクラスメイトとも馴染めるようになりました。





私がY君を観察していて気付いたことがあります。

まず、彼はこのクラス全員を配下に収めるガキ大将的な存在でした。

転校前のクラスには権力構造そのものが存在しなかったので、

ほんとにジャイアンっているんだ、という思いでした。



Y君はクラスメイトのことを仕切っていて、

遊びはほとんど彼主導で行われていました。

まあ校外のサッカー部に入っていたY君は、

中休みも昼休みも校庭でサッカーでしたが。



私も彼らとサッカーをやるようになってサッカーが好きになったので、

一緒に遊ぶ時間は楽しかったです。





そんな中、なぜ私は彼らにいじめられることになってしまうのか?





いじめ


Y君には自由すぎるところがありました。

掃除はさぼるし、ルールは自分の都合で破ります。

権力があることをいいことに、自分だけいい思いをしようとします。



私は一方でまじめで、思ったことは口にするほうでした。

だからY君が不公平なことをした時は異議申し立てを行ったのです。

そしたらY君は怒って私を殴ったり蹴ったりしました。



私が反撃しようとしても、

戦う意思を失うまで殴られ続けました。

※意識を失うまで、という意味ではありません()





そうした出来事が続くうちに、

特に理由が無くとも悪口を言われるようになりました。

「キモい」「デブ」「死ね」「臭い」など。



悪質ないたずらもありました。

筆箱を盗られて奪い返そうとする私相手にパス回しをされたり、

目の前でクレヨンを粉々に踏みつけられたり、

椅子の上や上履きの中に画びょうがあったり、

体育の授業から帰ってくると机が逆さまで、引き出しの中身が床に散らばっていたり。



もちろん暴力もありました。

エピソードが痛々しいので、ここでは割愛します。



クラス全員から無視されたり、ばい菌扱いされたこともありました。

そのころはインターネットが浸透していなかったのでネット系のいじめは経験がありませんが、

大体のいじめは身をもって経験してきました。





10歳くらいの私はいじめでメンタルがやられていきました。



夜寝る前に、死って何だろう、と考えて眠れなくなる経験は誰しもあるんじゃないかと思っていますが、

私はそんな夜が毎晩続くようになりました。

あまりにも恐怖が強すぎて、今日も夜がやってくると考えるだけで恐ろしくて憂鬱でした。



私の精神状態はさらに悪化していきました。

ある休日に叔母と一緒に公園に散歩にいきました。

私はその公園が好きだったので、いつもなら気分が高揚しているはずでした。

しかしその日は死の恐怖が頭から離れず、まったく楽しいと感じませんでした。

夜だけだった恐怖の時間が、昼間にも現れてしまったのです。



これには幼い私も違和感を覚えて、そろそろ自分はやばいんじゃないかと感じました。

幸いなことに学校はこのあと長期休暇に入り、私は回復する時間ができ、危機を逃れました。

この時が人生で一番苦しい時でした。





担任の教師は何をしていたんだ、と思われるかもしれません。

担任はですね、なんとY君の味方でした。



Y君はいつも「先生大好き」と言って担任にすり寄っていました。

そして実力の無い担任は、クラスを掌握しているY君を優遇することで、

担任としての影響力を保持していました。



だから、私が何を言っても、私が悪いことになりました。

ある時は担任が「愛のムチ」だと言って私を叩いたので、殴り返しました。

その後どうなったかは記憶が曖昧なのですが、よくやった!と思います。





教師がこんなんだったので、

私の唯一の心の支えは母親でした。



母親には学校でいじめられていることは伝えていました。

母親的にはこの引っ越しは正しかったと思いたいはずで、

転校先で私がいじめられている事は母の選択を否定するような事だったと思います。

ですから母に「あんたは前の学校でもいじめられていたし、また別の学校に行っても同じことよ」

とある時言われたのも、今ではその理由が分かります。当時は分からなかったけど。



しかし基本的に母は100%私の味方として慰めてくれて、

母の前で泣いていたことで、私は正気を保っていられました。





正気を失っていたら?

Y君と担任を殺害するか、自殺していたかもしれません。

実行してもおかしくない憎しみ、怒り、絶望は十分にありましたが、

そんなことより自分の人生は価値があると思い、理性でブレーキをかけていました。

今を生き延びれば、きっといいことがあると。





昨日の敵は今日の友



Y君とは5年生になる時のクラス替えで離れることができました。

その後のY君は権勢を失い、別のクラスでおとなしくなったようです。



私は中学3年生の時までたびたびいじめに遭い続けるのですが、

そんなのは小学34年生の時に比べれば大したことありません。



小学校高学年の時には全校レベルのある委員長を務め、

中学校の時には学級委員長や生徒会長を務めました。

私は何かで自分の存在を示したかったし、

こういう役職についておくと先生に気にかけてもらえます。



ちなみに生徒会役員に立候補する際、推薦者となる生徒が必要だったのですが、

それにはなんと、小学校の時私をいじめていたY君になってもらいました。

昨日の敵は今日の友ってやつです。



中学時代のY君は小学校中学年の時とは別人で、

丸くなったというか、なよなよしているというか、

とにかく攻撃的で狡猾なオオカミのようだった頃とは違い、

私がいじめられていると、擁護してくれるような友人でした。





私はY君によってさんざん苦しめられました。

しかし、意外とそれを根に持っていません。

それはなぜか?





Y君のおかげだとしたら



私は転校前のド田舎ののんびりした温室のような学校で育った結果、

バカで強情な人間になってしまっていました。

*代わりに正直で真面目で温厚という性格も身につけましたが。



その結果、人間はみんな対等という理想論を素で実行してしまい、

非公式に存在する自分の立場や力関係を無視した言動をとってしまっていたのです。



表だっては誰も教えてくれませんが、

こういった処世術は社会で生活するには必須といっていいものです。



Y君によるいじめはそれを早い段階で教えてくれた、と捉えることもできます。

これを「Yショック」と呼びましょう。

私はYショックによって目覚めることになりました。

親や学校に教え込まれた幻想から抜け出し、

自分で考えることを始めました。





しかしYショックを浴びたからと、急に自分が変わることはありません。

自分の行動に対してその評価が痛みとして帰ってくるシステムですが、

私はいじめの苦しみでいっぱいいっぱいでしたし、

自分の生き方を変えるというのは、なかなか骨の折れることなのです。





生き方


そんな中、私が成長したなと思うタイミングがあります。

それは中学3年生の時のことです。



私は学校の図書室にいきました。

私は本が好きでしたが、この時は受験に集中するため、

勉強の息抜き用に、熱中して読んでしまわないくらいの、

いい感じに退屈そうな本を探していました。



その時手に取ったのが「孔子言行録」でした。

それは論語で有名な孔子に関する解説書でした。

その時の私は論語の孔子だなというくらいしか孔子のことを知りませんでした。

そして、きっと大して面白くないだろうと思って借りることにしたのです。



家に帰ってから、予定通り勉強の息抜きにその本を読み始めたのですが、

意外なことに、今自分が欲しいと思っていた言葉がたくさん載ってあったのです。



そうだよなー。

その通りだよ。

っと大変共感しながら読みました。

息抜き用として借りたのは完全に失敗でしたが、

その後の人生には大きく影響を与える出会いになりました。

最初退屈そうだと思ったことは・・・申し訳ありませんでした!



このことがきっかけで、孔子関係の本を図書室や書店で探して何冊も読みました。

そして、ある論語の本のシンプルさが気に入って、その本を何回も繰り返し読みました。

その本は今でもたまに読み返します。





論語のどこがそんなに面白かったのか?

論語には色んなことが書かれていますが、

私は論語から「生き方」を教わりました。



それまでの私は、依存的なところがありました。

なにか悪いことが起きても、誰かのせいにして、

自分で自分の人生を歩むということがまだまだ出来ていませんでした。



しかし、論語では他人との関わり方が自立的で、

とにかく自ら学んで成長していこうと促してします。



私はそんな論語の言葉に勇気付けられて、

一つ一つ日頃の習慣や考え方を改善していきました。

すると、学校でも家でも、人間関係のトラブルが減り、

笑顔で過ごせる時間が増えました。



これが、2500年間読み継がれた人類の知恵の威力かと思いました。





ところで、論語の中では、

「自分がされて嫌なことは、相手にもしないこと」

と言っています。

人類全員がこれを実践すれば、世界はもっと良くなるのに。

そしていじめなんて世の中から無くなるのに、と思いました。



論語によってさらに善に近づいた私にとって、

トラブルを引き起こす他人は世界を汚している悪人に思えたのです。





世界の見方



そんな折に、論語とは別に大きな出会いが高校
1年生の時にありました。

それは生物学でした。





論語は「生き方」を教えてくれましたが、

生物学は「世界の見方」を教えてくれました。

論語と生物学は今でも私の基礎となる重要な領域です。



生物学を学ぶと言っても、学校の教科書ではありません。

教科書では生物学は学べないので。



私はもともと生物に興味があったので、色々と本を買って読んでいたのですが、

そうしているうちに、進化の原理について知りたくなりました。

それは、小さい時から生と死の問題に悩まされていた私は、

生物がなぜ生きているのかを知る鍵が進化にあるのではないかと、

うすうす感じていたからでした。



そして進化のことを学んでいくと、

ついに私の求めていた答えが見つかりました。



生物が生きている理由。

それは、生物の情報が生物の活動を促しており、

生き残った情報が次世代に引き継がれる結果、

その次世代の生物も生存活動を行うからです。



と一応書きましたが、

短すぎて逆に伝わらなかったと思うので、

今は進化って重要なんだな~くらいに思っておいてください。





進化の原理はともかく、

生物学は私の価値観を大きく変えました。



それは善悪についての価値観で、

私はそれまで悪人が世界をダメにしているんだと思っていましたが、

生物学を学んだことで、ホントは世の中に悪人なんていないんじゃないか

と思うようになりました。



騙し、奪い、裏切り、殺す。

これらは生物の世界では普通に行われていることです。

これらはエサ生物や天敵に対してだけでなく、同種にも行われます。

エサ、縄張り、異性などを獲得したり、自分や家族を守ったりするためです。



私はこういった行動が悪だとは思えませんでした。

なぜならその生物がそういった行動をとるに至った進化の歴史が存在するからです。

どの生物も淘汰という厳しい判定にさらされながら、様々なアイデアを試してきており、

悪っぽい行動も、生物が命がけで生み出した生き方なのです。



私は、そんな生命の歴史を善か悪かで判断するのは、おかしなことだと思ったのです。

そして生物の一種たる人間においても、善悪で判断しては物事の本質が見えなくなると思いました。

悪い事やいじめをするのにも、何か原因があると考えた方が、

問題解決に近づくはずです。





以前の私は何か問題があるといつも、

私は正しくて他人が間違っている、と考えていました。

しかし生物学を通して、世の中には善悪以外にも様々な価値観があることを学び、

その結果、相手の立場で物事を捉える能力が向上したのでした。



この能力はその後の勉強に非常に役に立ち、

世界を深く理解するのが大変スムーズになりました。

なぜなら本の著者と同じ視点で本を読めるようになるからです。



さらに応用力も付き、それは私のいじめ研究に大きく貢献することになります。





いじめに挑む



私は中学校を卒業して以降、論語のお陰かいじめを受けることがなくなりました。



私は生物学によって興味の幅も思考力も増していたので、

他の分野の勉強も自主的に取り組みました。

歴史、軍事、教育、経済などなど、

どれも私の世界を拡げ、常識を覆してくれて、

私は楽しい時間を長らく過ごしました。



しかし、いじめに対する問題意識はずっと私の中に残っていました。

そしてある時、いじめについてしっかり学ぼうと思いました。

学んで、自分の受けたいじめが本質的に何だったのか?

そしていじめを解決するにはどうすればいいかを知りたいと思ったからです。





私はいくつもの書店やamazonでいじめの本をたくさん買って読んだのですが、

何十冊と読んだ中で本当に役に立ったのは23冊しかありませんでした。

それにはいじめが起きる原因が書かれてありました。



では他の諸々の本は何だったのかと言えば、

いじめは悪くて悲しいことだというエッセイだったり、

社会や国を変えようという、個人で取り組むにはあまりに困難な方法だったり、

教員向けに書かれたいじめ対応(ほんとに効くか疑問)の指南書だったりで、

いじめの本質と、個人で出来る解決法を知りたい私にとっては目的がずれていました。



世に出ているいじめ本を何冊読んでもあまり状況が変わらなかったので、

もう自分でいじめの事を考えることにしました。



幸いにも私は様々な分野に知識があったので、

それらをいじめと結び付けられないかと、毎日毎日

家にある本を読み返したり、新しい本を手に取ったりしながら考えました。



すると様々な分野がいじめと繋がっているように見えてきて、

それで出てきたアイデアを毎日書き溜めていきました。



そしてそれらのアイデアをまとめて体系化したところ、

いじめの本質から解決法までを網羅した、いじめの理論が出来たのです。

*この理論はメルマガ内で公開しているので解説は省きます。





私は自分の研究成果に満足しましたが、

今度はこの理論をいじめで苦しんでいる人のために使おうと考えました。



そこで最初に、SNSで知り合った学生数名に私の理論を実践してもらったところ、

みんないじめを解決することができたのです。



こうして私は自分の理論の正しさの裏付けを得られましたし、

世の中の役に立てることが分かりました。



これが、私のいじめ専門家庭教師としての初期の活動でした。





私はこの活動をする中で指針としていることがあって、

それは、もう二度といじめで悩まなくなるようにその人自身を成長させる、

というものです。



いじめというのは子どもだけでなく、

大人になっても起こりうることです。

だから、この機会に自分の身を守る術を磨いて、

いじめの不安無く、楽しい人生を送って欲しいと思っています。



そして、いじめに向き合う経験を通して、

生き方や世界の見方を見つめなおし、

自分らしい人生を歩むきっかけになってくれたら

これほど嬉しいことはありません。





テムジン